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令和最初の歌会始の儀

 

2020年(令和2年)1月16日、令和最初の歌会始の儀が行われました。

実は元号と密接に関わっている歌会始の儀。令和になって最初の歌会始の儀なので、どんな歌が披講されるのだろうかと私も注目していたところ、フジTVのワイドショー番組「グッディー」さんから

「歌会始の儀の歌を解説してほしいとの」との電話が。

慌ててネクタイを締めお台場に行き、スタッフさんと打ち合わせをしました。

 

打ち合わせ中に戸惑ったのが歌の読み方の違い。

テクスト論的に一首を鑑賞する歌壇的な歌の読み方と、

作家論的に作者の背景を深掘りして一首を鑑賞、分析するワイドショー的な読み方との差に驚きました。

なるほど、短歌は一般的にはこんな感じで読まれているのか。良い経験をさせていただきました。

 

フジテレビグッディー

 皇室の方の歌については宮内庁のHPに歌意や背景が発表されるるのでそれ以上の読みは不遜と思うのですが、以下、私の鑑賞です。


2020年(令和2年)歌会始の儀 題「望」

・学舎(まなびや)にひびかふ子らの弾む声さやけくあれとひたすら望む

 天皇陛下

 

施設や学校の子ども達を詠んでい一首。

上の句、目に見た形ではなく「ひびかふ」「声が弾む」と音声で表現しています。

短歌はもともとは歌。響きを大切にされたのだと読みました。

子どもたちのにぎやかな声も伝わってきます。

 

下の句の「さやけくあれとひたすら望む」は、子どもたちの未来が明るく清くあってほしいという願い。

子どもは日本の未来。令和という時代が明るく清くあってほしいという願いも込められているのだと読みました。

 

 

・災ひより立ち上がらむとする人に若きらの力希望もたらす

 皇后陛下

 

被災地を精力的に回られている皇后様らしい一首。

溢れる思いがそのまま七五調になっています。

言葉が直接的な表現なのは、短歌を知らぬ多くの人々にも立ち上がる為の希望の言葉が届いてほしいという思いがあるからなのかもしれないなと思いました。

 

決意や力みを感じます。

ご自身の決意も込められているのかも、と僕は読ませていただきました。

 

 

・祖父宮(おほぢみや)と望みし那須の高処(たかど)より煌めく銀河に心躍らす

 秋篠宮さま

 

幸せな経験を美しく詠まれた一首。

ご自身の原点を捉え直し、昭和天皇や昭和という時代を引き継いで令和という時代を生きる気持ちを詠まれた歌、と読みました。

 

 

・高台に移れる校舎のきざはしに子らの咲かせし向日葵(ひまはり)望む

 秋篠宮妃紀子さま

 

震災後高台に移設された校舎から向日葵を見ている一首。

被災地に生きる方々が諦めず、種を蒔いたからこそ、校舎から見える向日葵の咲く美しい景色。

復興しようとする人々の生活に感動し、心を寄せているのが伝わってきます。

 

 

・望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな

 秋篠宮家長女眞子さま

 

月に兎がいるという伝承を僕らは歳を重ねる中で信じなくなり、心をときめかせなくなってしまいます。

しかしそうではなく、その想像力を持ち続けよう、純粋な心を持ち続けてゆこう、という気持ちが表明されたやさしい歌です。作中主体は辛い状況で、しかしそんな中でも柔らかな心を忘れずにいようという決意の一首と読みました。

 

・かへるさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらの有明の月

・いま来むと契りしことは夢ながら見し夜に似てるありあけの月

・忘れじといひしばかりのなごりとてその夜の月は廻り来にけり

 

というように古典和歌では、月を眺めるというと「同じ月を眺める大切な人を想う」というニュアンスがあります。月ほどに遠く感じられる異国に離れて暮らす大切な人を想う気持ちも、込められているのかもしれません。

 

「望月に月のうさぎが」と「月」を重ねているのはリズム感を整えるための重複表現と読みました。

「ゆかな」という表現も万葉的。全体的に古典的な、奥ゆかしい気配が感じられます。

 

 

・六年間歩きつづけし通学路三笠山(みかさやま)より望みてたどる

 秋篠宮家次女佳子さま

 

短歌で「三笠の山」となると奈良の三笠山なんですが、この三笠山は御用地内にある山。

ご自身が六年間歩かれた道を御用地の山より望み、視線でなつかしい道をたどっています。

歌枕と同名の地名を使うことで古歌の世界との響き合いが生まれています。

有名なのは阿倍仲麻呂の

 

・あまのはらふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも

 

遣唐使として遣わされた唐から帰国する餞別の席で詠んだといいます。

同名の別の山とはいえ、そのような古典的なニュアンスの響く山から、現代に生きて実際に通ったっている良さ、そして通学路を見晴かすという表現も、スケールが大きく心地が良い。視覚的に美しく、通学路という言葉も学生の言葉で若々しく、読んでいて楽しい一首でした。

 


歌会始の儀における眞子さま佳子さまの短歌

打ち合わせの中で、眞子さま佳子さまの歌をどこまで読むかは悩みました。

ただ、不遜ながら同時代に短歌を詠む者として作品の上では自由であって欲しいと思い、作品としての鑑賞と詠み込まれた歌題の系譜についての話に留めました。

短歌の修練が感じられる良い歌と思いました。

フジテレビグッディー

歌の先輩が撮ってくれたテレビ画面