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2021年(令和3年)歌会始の儀

1月15日に予定されていた令和3年の歌会始の儀。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大状況に鑑み、2021年3月26日に開催されました。

題は「実」。

 

・人々の願ひと努力が実を結び平らけき世の到るを祈る

 天皇陛下

 

・感染の収まりゆくをひた願ひ出で立つ園に梅の実あをし

 皇后さま

 

・夏の日に咲き広ごれる稲の花実りの秋へと明るみてくる

 秋篠宮さま

 

・竹籠に熟るる黄色の花梨(くわりん)の実あまき香りは身に沁みとほる

 秋篠宮妃紀子さま

 

・烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に

 秋篠宮家長女眞子さま

 

・鈴懸の木から落ちにし実を割りてふはふは綿毛を空へと飛ばす

 秋篠宮家次女佳子さま

 

マスクを着用し、ソーシャルディスタンスをとって開催された歌会始の儀。

歌会の様子から、そして陛下、皇后様、秋篠宮様の歌から、日本という国の根底に脈々と続き、信じられている言霊を感じました。

 

皇族の方々の歌の歌意や詳細は宮内庁HPにPDFがありますのでご参照ください。


個人的な後日談ですが、眞子さまの婚約発表が決まった9月にフジテレビのMr.サンデーさんから「秋篠宮さまと眞子さまの歌についての解説をして欲しい」とのオンライン取材を受けました。

 

今回は歌会始の儀からだいぶ時間が経っての取材だったので、眞子さまの歌の変遷を辿り、またネットや雑誌などで眞子さまの歌がどう読まれたかなども調べてから話させていただきました。

 

秋篠宮様の歌

令和3年 題「実」

・夏の日に咲き広ごれる稲の花実りの秋へと明るみてくる

 秋篠宮さま

 

▼私の読み

稲が象徴的な一首と思いました。

コロナの蔓延によって世界中の人が制約のなかで生活している。しかしそれはいつか収束して、実りの秋を迎えるだろう。迎えて欲しい。そういう願いの歌。予祝の歌として読みました。

 

ちなみにネットや雑誌の読みを見ると

 

・「懸案は秋までに解決したい」という思いが現れている

・稲も花梨も悠仁さまが愛着を感じているもの。ご夫妻は、眞子さまの問題からは目を背けておられるのかもしれない。

・秋篠宮ご夫妻が「秋」の歌を詠まれる一方で、天皇皇后両陛下は国民への祈りを込めた歌を詠まれた。

 

といった物がありました。

う〜ん...「ご家庭のことを詠んだ」「秋を詠んだ」という読みよりも、稲の花も実りも象徴として読むと秋篠宮様の気持ちがすっきりと理解できるのではないかと思うのですがいかがでしょうか。


眞子さまの歌

令和3年 題「実」

・烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に

 秋篠宮家長女眞子さま

 

▼私の読み

カラスウリの美しさに目を留めている色彩の美しい一首です。

私は発音が同じ「実」と「身」が掛詞になっているのかと読みました。掛詞として読んだ場合、

「カラスウリの実ように、この身は冴ゆる朱の色に染まっていくのだなぁ。深まる秋によって」

と読めます。

「秋」から「収穫の秋」をイメージするか、「木々の葉の落ちた寂しい秋」」をイメージするかで一首の表情は変わりますが、色彩の美しい歌なので、未来に対しての希望の様な物が描かれている様に私は感じました。

また、いくらか作家論に踏み込めば、カラスウリという地味な植物に重ね、ご自身の心と向き合っている作者の姿が想像できました。

 

ちなみにですが、ネットや雑誌によると

 

・カラスウリの花言葉は「誠実」、『よき便り』。

・「秋に悲願の結婚を結実させたい」という思いを反映した歌

 

なのだとか。

う〜む。僕にはそこまで読めませんでした。


令和2年 題「望」

・望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな

 秋篠宮家長女眞子さま

 

▼私の鑑賞

豊かな想像力をいつまでも持ち続けること、空想の世界に遊ぶ自由な気持ちを持ち続けることへの憧憬の歌。自分の純粋さを保とうとしている歌意が良いと思いました。

 

この歌、ネットや雑誌では「望月」は小室圭さんの事だ、という読みが多くありました。

 

確かに月を眺める行為から「同じ月を眺める大切な人を想う」というニュアンスは想像してよいのだと思います。 ただ「望月」はあくまでも「満月」かなと。

良い短歌なので、望月を小室圭さんとして読む読み方だと歌が可愛そうに思いました。

 

その他、歌として「望月+持ち」「棲まふ+思ふ」と音の柔らかさも魅力。

 

下の句「思ふ心を持ちつぎゆかな」は「思う心を持ち続けていこう」という主体的な動き。

自身の感性を守ろうという作中主体の決意が読み取れると思いました。


平成の眞子さまの歌

平成31年 題「光」

日系の百十年の歴史へて笑顔光らせ若人(わかうど)語る

 

平成30年  題「語」

パラグアイにて出会ひし日系のひとびとの語りし思ひ心に残る

 

平成29年 題 「野」

野間馬(のまうま)の小さき姿愛らしく蜜柑(みかん)運びし歴史を思ふ

 

平成28年  題「人」

広がりし苔(こけ)の緑のやはらかく人々のこめし思ひ伝はる

 

平成27年 題 「本」

呼びかける声に気づかず一心に本を みたる幼きわが日

 

平成26年  題「静」

新雪の降りし国の朝の道静けさ響くごとくありけり

 

 

▼私が眞子さまの歌の変遷を読んで感じたこと

平成の歌会始の儀で出された眞子さまの歌はご公務が題材となり、作中主体は見て感じてと受け身でいる歌になっています。対して令和の歌は「月」や「烏瓜」に重ねて作中主体の内面が描かれており、具体的には言えないけれど熟考せざるおえない想いを重ね合わせている作者像が見えてきます。自発的な歌になっているのも違いの一つです。

「この時、この描き方を選択した理由」には作者の心情が深く現れます。

 

眞子さまの歌からは週刊誌やワイドショーで語られている様な「想い人への思い」は私は読み取れませんが、眞子さまの歌をしっかり評価しながら、作家論的が語られるのは許容範囲かと思いました。

歌人として、眞子さまのこれからの歌を読みたいと思いました。

歌会始の儀に提出された眞子さまの歌について